東京高等裁判所 昭和57年(ネ)1105号 判決 1983年9月28日
控訴人(第一審原告) 株式会社 駿河銀行
右代表者代表取締役 岡野喜久麿
右訴訟代理人弁護士 島田稔
被控訴人(第一審被告) 山本徳生
右訴訟代理人弁護士 岩本充司
主文
原判決を取消す。
被控訴人は控訴人に対し、金二四三八万六八九六円及び内金五五二万九七三四円につき昭和五五年八月一日から、内金二三四万円につき同年同月二七日から、内金一二三万六三〇〇円につき同年九月一一日から、内金九七万六五〇〇円につき同年一〇月二日から、内金九九万九六〇〇円につき同年同月一〇日から、内金二三〇万九八〇〇円につき同年同月一四日から、内金七〇万円につき同年同月一六日から、内金一〇〇万円につき同年同月二二日から、内金五一七万一七八〇円につき同年同月二九日から、内金一三万八一八二円につき同年同月三一日から、内金一九八万五〇〇〇円につき同年一一月二六日から、内金二〇〇万円につき同年同月二九日から、各完済まで年一四パーセントの割合による金員を支払え。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
この判決は仮に執行することができる。
事実
控訴人は主文同旨の判決及び仮執行の宣言を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実摘示及び当審記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。
一 原判決四枚目表八行目ないし六枚目表九行目を次のとおり改める。
「2 仮に、右1が認められないとしても、銀行である控訴人は、継続的銀行取引に関し取引先の保証人から保証人脱退の申込みをうけたときは遅滞なくその諾否の応答をなすべき信義則上の義務があり、その応答をしない場合には、商法五〇九条の適用ないし類推により、申込後相当期間経過後にこれを承諾したとみなされるべきである。
そして、本件には次のような事情があり、したがって、控訴人は、被控訴人の保証脱退申込をうけて相当期間を経過した後に、これを承諾したものとみなされ、これにより被控訴人の本件連帯保証債務は消滅したものというべきである。
(一) 本件銀行取引の主債務者である今田は、昭和五四年九月ころ控訴人から被控訴人の保証極度額五〇〇〇万円の増額を求められたのを機に、保証人を被控訴人から妻・今田嘉子にかえることを思い立ち、同月末日、被控訴人から、今田を通じて控訴人浜松支店の担当職員大橋良種に対し保証人脱退加入契約書などの必要書類を、提出して、保証人脱退の申込をした。
(二) 右書類を受領して申込をうけた右大橋は、直ちに同支店として新保証人今田嘉子の適格性の調査を遂げたうえ、銀行本部の承諾をうる手続を進めるべきであるのに、これを何ら行わないまま、同年一〇月五日他支店に転勤し、同人の職務を引継いだ鈴木松典も、今田や被控訴人に対して右関係書類を返還したり、この間の事情を説明したりしないまま、何ら手続を進めずに放置した。
(三) このため、今田及び被控訴人は控訴人が被控訴人の保証人脱退を承諾したと思っていたところ、昭和五五年八月に至って、何ら保証人脱退承認に関する手続が進められておらず、関係書類の所在すら判然とせずに、控訴人が被控訴人を依然として今田の保証人として取扱っていることを知った。
3 仮に、右1、2が認められないとしても、
(一) 前記のとおり保証人の脱退の申込をうけ、その関係書類を受領した控訴人の職員は、その承諾をするための内部的手続をなすべき義務があるのに、その手続をせずに放置し、このため、右義務が履行されていれば保証人脱退契約が成立し、その保証債務を免れていたであろう被控訴人の利益が侵害され、これによって、被控訴人は今田の連帯保証人として負担する本訴請求債権と同額の損害を蒙った。控訴人はその職員の使用者であるから、右職員の不法行為について民法七一五条による責任がある。
(二) そこで、被控訴人は控訴人に対し、昭和五六年一二月二二日の原審口頭弁論期日において、右損害賠償請求権と本訴請求債権とを対当額において相殺する旨の意思表示をした。
4 右1ないし3が認められないとしても、控訴人の過失により保証人脱退手続がなされなかったことが不法行為となる以上、控訴人が右手続がなされていないことを奇貨として被控訴人に連帯保証債務の履行を求めることは、信義則上許されない。」
二 原判決六枚目表一一行目ないし原判決七枚目表三行目を次のとおり改める。
「1 抗弁1の事実は否認する。
2 同2冒頭の主張は争う。同2の(一)の事実のうち、控訴人の担当職員大橋が、今田から同人の債務の連帯保証人を被控訴人から妻・今田嘉子にかえたいとの申出をうけ、その関係書類の一部を受領したことは認める。しかし、大橋は、その際、保証人の変更については新保証人の適格性を調査したうえ本部の承認を得た後でなければ、書類を正式に受理することはできないと告げ、これを仮受領したものである。同2の(二)のうち、大橋が他支店に転勤し、鈴木がその事務を引継いだことは認めるが、その余の事実は否認する。控訴人は今田嘉子の適格性を調査したが、同女が今田と同一の生計を営む妻であって保証人としての適格性を欠くと判断し、同年一〇月末ころ、今田に前記申入れには応じ難いと回答し、同年一二月二八日仮受領していた嘉子の保証約定書を不渡手形二通と共に返還した。同2の(三)の事実も否認する。
3 抗弁3の(一)の事実は否認する。控訴人の担当職員には被控訴人の保証人脱退問題の処理に関し、何らの過失もない。しかも、仮に右過失があったとしても、被控訴人は本訴請求債権の支払をしていないから、何らの損害も発生していない。
4 抗弁4は争う。控訴人の保証債務履行請求を許さないのは被控訴人側の保護に傾き過ぎで取引の安全を害する。しかも、本件においては、保証人脱退承認の手続が進められたとしても、その承認がえられなかったであろうことは、今田と新保証人今田嘉子との関係からみて明らかであったから、被控訴人の主張する信義則も適用の余地はない。」
理由
一 請求原因1、2の各事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、請求原因3ないし6の各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
二 被控訴人の抗弁1については、後記認定のとおり昭和五四年九月末ころ、被控訴人が控訴人に対して、保証人脱退契約の申込みをしたことは認められるが、同年八月ころに本件連帯保証債務を消滅させる合意が成立したことを認めるに足りる証拠はないから、右抗弁は理由がない。
三 《証拠省略》によれば次の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
1 今田は、昭和五四年八月ころ取引金額増大に伴ない控訴人から被控訴人の本件連帯保証債務の極度額五〇〇〇万円を増額するよう求められたのを機に、その保証人を被控訴人から妻・今田嘉子に変えることを思い立ち、同年九月中旬ころ、これを控訴人担当職員大橋良種に申し出た。そして、右今田の考えを了承した被控訴人及び今田嘉子は、控訴人から交付をうけた保証人脱退加入契約証書、保証約定書に署名、押印して、同月末今田を通じて、大橋に交付したところ、大橋は、保証人の変更には控訴人銀行本部の承認が必要であってその承認によってはじめて保証人脱退の効果は生ずること、その承認手続の前提として新保証人の適格性の調査が行われることを、今田に告げて、これを受取った(同年九月末、今田からの保証人脱退加入の申出とともに大橋がその関係書類の一部を受取ったことは、当事者間に争いがない。)。
2 ところが、大橋は、今田から今田嘉子の資産等についての資料の提出を待って、その適格性の調査をするつもりでいたが、同年一〇月五日他支店に転勤となり、その後任者鈴木松典は、今田の取引に関し保証人変更の申込みを受けているとの引継ぎをうけながら、新保証人が今田と生計を共にする妻であるからそれだけで不適格であると判断し、今田に調査資料提出を促すことをせず、前記承認手続を進めなかった(大橋が転勤し、鈴木が引継いだことは当事者間に争いがない。)。そして、控訴人は、今田にも被控訴人にも被控訴人の保証人脱退が承認できないとの通知をせず、しかも前記のとおり大橋が受領した保証人脱退加入契約証書、保証約定書も返還しなかった。他方、今田や被控訴人も、保証人脱退につき控訴人の承認を得られたかどうかに関し、昭和五五年八月まで何ら控訴人に照会しなかった。
3 被控訴人は、今田から保証人変更の意向を知らされ、さらに前記のとおり契約証書に署名、押印して今田に交付したことから、これにより自己の保証人脱退の手続がとられて、以後本件連帯保証債務を免れたものと思っていたところ、今田が不渡処分をうけた後の昭和五五年八月に本件連帯保証債務の履行を求めて控訴人から所有不動産を仮差押されたことではじめて控訴人が保証人脱退を承認しておらず被控訴人を依然として今田の保証人として取扱っていることを知った。
4 控訴人の内部規定、事務取扱上では、一般に、保証人の交替については願書を徴し(口頭のこともある。)たうえ、まず支店において新保証人の適格性を審査し、不適格と判断すれば支店かぎりで口頭でその旨願出人に通知し、そうでないときは本部に申請して本部で禀議の上で、不承認相当のときは支店を通じて口頭で願出人に連絡し、承認相当のときは保証人脱退加入契約証書、保証約定書の各用紙を願出人に交付して関係者の署名押印した各契約書を新保証人の印鑑証明書などと共に提出させて、これによりはじめて保証人の脱退の効力が生ずるものとされており、これら手続は通常一〇日程度で行われている。
四 右三で認定した事実に基づき考えるに、継続的な取引関係にある今田を介して、その保証人である被控訴人から保証人脱退の申込をうけ、しかもその旨の所定の署名・押印のある契約証書まで受取った以上、金融機関たる控訴人としては、これを承諾すべきか否かを誠実に検討し、なるべくすみやかにその諾否を通知するのが取引上の信義則にそうものということができようが、銀行取引における保証人の脱退申込は、銀行と主債務者との間に継続的取引関係があるからといって、その取引の申込とは異なり、承諾が当然に予想されるものではないことが明らかであるから、右申込について商法五〇九条を適用ないし類推して諾否の通知がない場合にこれを承諾したものとみなす余地はないというべきであり、この判断は、通常と取扱いを異にして、申込みと同時にその契約証書を受取ったという本件の特殊事情を考慮しても、何らかわるものではない。したがって、抗弁2は理由がない。
五 また、控訴人の担当職員が保証人の脱退申込をうけ、その契約証書も受取りながら、これについて何ら調査をせずに、新保証人を不適格と即断して承認手続をとらず、しかもそのことを今田や被控訴人に通知しなかったことは、右四で判断した取引上の信義則にもとるものというべきであるが、被控訴人としては、控訴人側の本件連帯保証脱退の承認手続の迅速な履行によっても当然に脱退承認を期待しうるわけではないから、前記控訴人職員の手続懈怠が、被控訴人の保証人脱退による保証債務免脱の利益を侵害したということはできず、しかも、被控訴人はいまだ本件連帯保証債務を履行したわけではないことは本件訴訟上明らかであるから、いまだ損害の発生もないというべきである。したがって、その余につき判断するまでもなく、抗弁3も理由がない。
六 さらに、右五で判断したように、控訴人職員には、被控訴人の保証人脱退申込に関し承認手続の履行についての懈怠があるといっても、右申込及び契約証書の提出により直ちに契約が成立するわけではなく、新保証人の適格性を審査したうえで、銀行本部の承認手続を経る必要があり、しかもこのことは、被控訴人に代って契約証書を提出した今田に告げられていたのであり、さらに、その後、控訴人側から諾否の通知がないのに今田も被控訴人も昭和五五年八月まで控訴人に対して照会するなどの確認の方法を全く講じなかったことを考えれば、控訴人が被控訴人に本件連帯保証債務の履行を求めること自体が、信義則に反するとは直ちにいえないというべきであり、したがって抗弁4も理由がない。
七 以上のとおりであって、今田の手形金債務元本及びその履行期後の遅延損害金について、本件連帯保証債務の履行を求める控訴人の被控訴人に対する本訴請求は、すべて理由があるから認容すべきであり、これを棄却した原判決は不当であるから、原判決を取消して、本訴請求を全部認容することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条、仮執行の宣言について同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 森綱郎 裁判官 藤原康志 小林克巳)